を手に入れてしまいました(スミマセン)。
「Caramelldansen(Speedycake Rimix)/Caramell」が欲しかっただけなんです。
(↑「ウッーウッーウマウマ」という呼び方は好きじゃない)
これで「YouTube」でなくても作業しながら聴けるぞ!って。
しっかし、
最近買った音楽CDがこれと「海雪/ジェロ」だなんて、
っぱりおかしいですな。
「Caramelldansen(Speedycake Rimix)/Caramell」が欲しかっただけなんです。
(↑「ウッーウッーウマウマ」という呼び方は好きじゃない)
これで「YouTube」でなくても作業しながら聴けるぞ!って。
しっかし、
最近買った音楽CDがこれと「海雪/ジェロ」だなんて、
っぱりおかしいですな。
「広告批評」(マドラ出版)が来年4月の創刊30年記念号で休刊。
「インターネットの普及などで広告形態が多様化、役割を終えたと」とのこと。
しかし、インターネット時代の新しい広告批評・評論のカタチが必要なのは明白ですね。
新しい雑誌が生まれてくれることを願います。
「インターネットの普及などで広告形態が多様化、役割を終えたと」とのこと。
しかし、インターネット時代の新しい広告批評・評論のカタチが必要なのは明白ですね。
新しい雑誌が生まれてくれることを願います。
どうやら映像化らしい。
福満嵐きたな。
福満作品はやっぱり昔のが好き。
情報元はmixiのコミュ。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=29256372&comment_count=7&comm_id=6954
監督は豊島圭介監督で、以下のインタビューのプロフィール欄がソースです。
http://www.walkerplus.com/movie/report/report5897.html
基本的にはTV観ない人間ですが、
コレは観てみようか。
福満嵐きたな。
福満作品はやっぱり昔のが好き。
情報元はmixiのコミュ。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=29256372&comment_count=7&comm_id=6954
監督は豊島圭介監督で、以下のインタビューのプロフィール欄がソースです。
http://www.walkerplus.com/movie/report/report5897.html
基本的にはTV観ない人間ですが、
コレは観てみようか。
外山滋比古『思考の整理学』より
アメリカの女流作家、ウィラ・キャザーが、
「ひとりでは多すぎる。ひとりではすべてを奪ってしまう。」
ということを書いている。ここの「ひとり」とは恋人のこと。相手がひとりしかいないと、ほかが見えなく なって、すべての秩序を崩してしまう、というのである。
着想、思考についても、ほぼ、同じことが言える。「ひとつだけでは、多すぎる。ひとつでは、すべてを奪ってしまう」。
(外山滋比古『思考の整理学』筑摩書房,1986,pp.42-43)
なるほど、アイデアとはそーゆーものだなぁと感心させられる。
もちろん、ウィラ・キャザーの言葉も。
アメリカの女流作家、ウィラ・キャザーが、
「ひとりでは多すぎる。ひとりではすべてを奪ってしまう。」
ということを書いている。ここの「ひとり」とは恋人のこと。相手がひとりしかいないと、ほかが見えなく なって、すべての秩序を崩してしまう、というのである。
着想、思考についても、ほぼ、同じことが言える。「ひとつだけでは、多すぎる。ひとつでは、すべてを奪ってしまう」。
(外山滋比古『思考の整理学』筑摩書房,1986,pp.42-43)
なるほど、アイデアとはそーゆーものだなぁと感心させられる。
もちろん、ウィラ・キャザーの言葉も。
今日は祝日だってのに仕事だったので、電車の中でパラパラと先日買った『広告批評no.323』を読む。
巻頭の橋本治氏の「ああでもなくこうでもなく 第123回」がちょっと気になったので紹介します。
「ビニール袋に入った菓子パンや調理パンを食いますか?」
という疑問なんだけれど、僕たちは普通に食しますね。
何が疑問なんでしょうか。
少し引用します
「もう何年も前―というか、もしかしたらまだ二十世紀か昭和だった前に、テレビに出て来た若い娘のタレントが『焼きたてのパンて、おいしい!』と言っているのを見て、ふと『はてな?』という気になった。『焼きたてのパン』がおいしいのはあたりまえだが」
筆者は子供のころ、家の近くにパン屋さんがあって、11時になれば「焼きたてのパン」が買えるのでそれが楽しみだったという。ビーニール袋にはいったパンなんて買ったことがないらしい。
「焼きたてのパン」がおいしいことは、筆者の言うとおり当たり前なのだが、僕たちはごく一部の人を除いて、食べるパンは「焼きたてのパン」ではない。「ビーニール袋」で包まれた、数時間、もしくは1日近く前に焼かれたものを食すわけだ。もちろんその味は「焼きたてのパン」には劣る。
それでも僕たちは、そんな「焼きたてのパン」に比べて味の劣る「ビーニール袋」で包まれたパンを食す。何故なのか。
高度経済成長の時期、日本にもフォーディズムの時代がやってきた。
食材はスーパーマーケットに山のように積んである。消費社会の神話が始まったのだ。
スーパーに山のように積まれた食材は、(J.ボードリヤールに倣えば)豊かさの象徴であるのだ。しかしそこに陳列されるパンは、「焼きたてのパン」ではなく「ビーニール袋」で包まれた味の劣るパンなのだけれども。
でも、消費社会の神話に耽溺した人々は、「ビーニール袋」で包まれた味の劣るパンを躊躇なく買って食す。端からそういう食べ物だと言わんがばかりに。
・・・だから「焼きたてのパンて、おいしい!」なんていう当り前のCMが必要となったわけ。
時は流れ、消費社会が当たり前になって、さらに情報化社会も相まって、僕たちの消費行動はもっともっとせわしいものになってきた。
仕事の帰り(反省会)で、音楽コンテンツの話が出たのだけれど、僕はもうほとんど音楽CDは買わない。もともと音楽はあまり聴くほうじゃない(音楽を聴きながら作業できない人間なので)、だからもう「iTune」でダウンロードばかり。
そういうと、「それは音楽を聴いていることにはならないだろう!」と言われた。
ものづくりもする人間としてはその指摘はわからないでもない。アルバムというのはその曲の順序とかまでも考えられてつくられたものなのだから、その中の1曲とかだけを抽出して聴くという行為は、音楽の価値を低めるといえば大げさかもしれないけれど、そういった雰囲気がないわけではない。
でも僕たちは「iTune」でダウンロードし、「iPod」で音楽を聴くのだ。
これはちょっと「焼きたてのパン」と似てるような気がする。
消費社会に情報化社会がプラスされたらこうなったのだ。
情報化社会、とくにインターネット普及後、僕たちが1日に得る情報というのは、インターネット普及前に比べて約410倍になったらしい。
そんな情報の嵐の中で、僕たちは自分に必要と思われる情報だけを取捨選択しなければならない。メディアリテラシーがものすごく必要な時代。
そしてもう一つ重要なことは、その情報をどこから得るか、どう咀嚼するかということだ。
人間一日は平等に24時間。
その限られた時間の中で、情報を得て、取捨選択して、それを吸収しなければならない。
もちろん仕事や通勤、食事やお風呂などなどの日常生活をこなしながら。
音楽を聴きたい。
CD屋に買いに行く時間のコスト、聴かなくてもいい曲をスキップするコスト、そうした時間的コストは今の僕たちにとってはとっても惜しい時間になる。
ネットもしてwiiで遊んで、TVも観て、マンガも読んで・・・。
今やエンターテイメントは時間の取り合いなのだから。CDアルバム1枚およそ30数分を全部聴いている時間的余裕はそんなにないのだ。現代人は忙しい。
もちろん、2〜3000円するアルバムの中から数曲だけ選曲すれば数百円で済むので経済的にもコストが低い。
こう考えるのが情報化消費社会に生きる多くの人じゃないのだろうか? それがいいとか悪いとかは別にして。
もちろんそのアーティストがすっごい好きな人ならばアルバムを買うだろうけれど、でも、「ちょっと流行ってるあの曲だけ欲しい」なんてことはよくある。それは音楽というファッションを身につけたい・・・果てはカラオケで歌うためだったりするのだけれど。
それは現実。
そうコンテンツであるはずの音楽が、みんなとの楽しい空気を搬ぶためのコンテナーに成り下がってしまってるわけ。
再三言うけれど、それがいいとか悪いとかは別にして、事実でしょう。
つまりインターネットの普及によって、広告はもとより、生産・消費というものが大きなパラダイム・シフトを迎えたわけですね(なにを今さら)。
インターネットという「ラーの鏡(真実を映し出す鏡)」とブログなどのソーシャルメディアを手に入れたことで消費者(コンシューマ)はどんどん力をつけた。(コンシューマという言葉すらもう古い、カスタマーと呼ぼう)
もはや生産者優位の時代は完全に覆されたわけ・・・(本当は半世紀前にそうなってたんだけれど)。
政治ですら、福田首相のテーマが「生産者志向から消費者志向」なのだから。
なのに、そんな時代の変化を微塵も感じていないのか、見て見ぬふりなのか、まだまだ生産者志向な人や企業は多いよう。(もちろんカスタマー志向というのは、なにもご機嫌取りをしろということではない)
だんだんと愚痴っぽくなるけれども、いい加減それに気づかなければ・・・もう結構大変な時期が差し迫っているのに・・・。
そんなこんなで、(反省会で)呑み過ぎて、また乗り過ごしてしまいました。
追記
現代人は時間がない。情報の取捨選択をしなくっちゃいけない!って話の補足なんだけれど、この情報の取捨選択は一歩間違えると非常に視野の狭い状況に陥ってしまう訳ですよね。まぁ「島宇宙化」を助長するような感じで。だからこそ、その人に適した情報の取捨選択的インフラストラクチャーも大事なんだけれど、さまざまな情報をリンクさせるハブのようなもの(媒介中心性)が必要不可欠だと思う訳なんですよね。
このブログが「ごったに」なのも「媒介中心性」を持たせたいという考えがもとなんだけれど、もうちょっと情報をきちんと整理しないといけないですよね。
巻頭の橋本治氏の「ああでもなくこうでもなく 第123回」がちょっと気になったので紹介します。
「ビニール袋に入った菓子パンや調理パンを食いますか?」
という疑問なんだけれど、僕たちは普通に食しますね。
何が疑問なんでしょうか。
少し引用します
「もう何年も前―というか、もしかしたらまだ二十世紀か昭和だった前に、テレビに出て来た若い娘のタレントが『焼きたてのパンて、おいしい!』と言っているのを見て、ふと『はてな?』という気になった。『焼きたてのパン』がおいしいのはあたりまえだが」
筆者は子供のころ、家の近くにパン屋さんがあって、11時になれば「焼きたてのパン」が買えるのでそれが楽しみだったという。ビーニール袋にはいったパンなんて買ったことがないらしい。
「焼きたてのパン」がおいしいことは、筆者の言うとおり当たり前なのだが、僕たちはごく一部の人を除いて、食べるパンは「焼きたてのパン」ではない。「ビーニール袋」で包まれた、数時間、もしくは1日近く前に焼かれたものを食すわけだ。もちろんその味は「焼きたてのパン」には劣る。
それでも僕たちは、そんな「焼きたてのパン」に比べて味の劣る「ビーニール袋」で包まれたパンを食す。何故なのか。
高度経済成長の時期、日本にもフォーディズムの時代がやってきた。
食材はスーパーマーケットに山のように積んである。消費社会の神話が始まったのだ。
スーパーに山のように積まれた食材は、(J.ボードリヤールに倣えば)豊かさの象徴であるのだ。しかしそこに陳列されるパンは、「焼きたてのパン」ではなく「ビーニール袋」で包まれた味の劣るパンなのだけれども。
でも、消費社会の神話に耽溺した人々は、「ビーニール袋」で包まれた味の劣るパンを躊躇なく買って食す。端からそういう食べ物だと言わんがばかりに。
・・・だから「焼きたてのパンて、おいしい!」なんていう当り前のCMが必要となったわけ。
時は流れ、消費社会が当たり前になって、さらに情報化社会も相まって、僕たちの消費行動はもっともっとせわしいものになってきた。
仕事の帰り(反省会)で、音楽コンテンツの話が出たのだけれど、僕はもうほとんど音楽CDは買わない。もともと音楽はあまり聴くほうじゃない(音楽を聴きながら作業できない人間なので)、だからもう「iTune」でダウンロードばかり。
そういうと、「それは音楽を聴いていることにはならないだろう!」と言われた。
ものづくりもする人間としてはその指摘はわからないでもない。アルバムというのはその曲の順序とかまでも考えられてつくられたものなのだから、その中の1曲とかだけを抽出して聴くという行為は、音楽の価値を低めるといえば大げさかもしれないけれど、そういった雰囲気がないわけではない。
でも僕たちは「iTune」でダウンロードし、「iPod」で音楽を聴くのだ。
これはちょっと「焼きたてのパン」と似てるような気がする。
消費社会に情報化社会がプラスされたらこうなったのだ。
情報化社会、とくにインターネット普及後、僕たちが1日に得る情報というのは、インターネット普及前に比べて約410倍になったらしい。
そんな情報の嵐の中で、僕たちは自分に必要と思われる情報だけを取捨選択しなければならない。メディアリテラシーがものすごく必要な時代。
そしてもう一つ重要なことは、その情報をどこから得るか、どう咀嚼するかということだ。
人間一日は平等に24時間。
その限られた時間の中で、情報を得て、取捨選択して、それを吸収しなければならない。
もちろん仕事や通勤、食事やお風呂などなどの日常生活をこなしながら。
音楽を聴きたい。
CD屋に買いに行く時間のコスト、聴かなくてもいい曲をスキップするコスト、そうした時間的コストは今の僕たちにとってはとっても惜しい時間になる。
ネットもしてwiiで遊んで、TVも観て、マンガも読んで・・・。
今やエンターテイメントは時間の取り合いなのだから。CDアルバム1枚およそ30数分を全部聴いている時間的余裕はそんなにないのだ。現代人は忙しい。
もちろん、2〜3000円するアルバムの中から数曲だけ選曲すれば数百円で済むので経済的にもコストが低い。
こう考えるのが情報化消費社会に生きる多くの人じゃないのだろうか? それがいいとか悪いとかは別にして。
もちろんそのアーティストがすっごい好きな人ならばアルバムを買うだろうけれど、でも、「ちょっと流行ってるあの曲だけ欲しい」なんてことはよくある。それは音楽というファッションを身につけたい・・・果てはカラオケで歌うためだったりするのだけれど。
それは現実。
そうコンテンツであるはずの音楽が、みんなとの楽しい空気を搬ぶためのコンテナーに成り下がってしまってるわけ。
再三言うけれど、それがいいとか悪いとかは別にして、事実でしょう。
つまりインターネットの普及によって、広告はもとより、生産・消費というものが大きなパラダイム・シフトを迎えたわけですね(なにを今さら)。
インターネットという「ラーの鏡(真実を映し出す鏡)」とブログなどのソーシャルメディアを手に入れたことで消費者(コンシューマ)はどんどん力をつけた。(コンシューマという言葉すらもう古い、カスタマーと呼ぼう)
もはや生産者優位の時代は完全に覆されたわけ・・・(本当は半世紀前にそうなってたんだけれど)。
政治ですら、福田首相のテーマが「生産者志向から消費者志向」なのだから。
なのに、そんな時代の変化を微塵も感じていないのか、見て見ぬふりなのか、まだまだ生産者志向な人や企業は多いよう。(もちろんカスタマー志向というのは、なにもご機嫌取りをしろということではない)
だんだんと愚痴っぽくなるけれども、いい加減それに気づかなければ・・・もう結構大変な時期が差し迫っているのに・・・。
そんなこんなで、(反省会で)呑み過ぎて、また乗り過ごしてしまいました。
追記
現代人は時間がない。情報の取捨選択をしなくっちゃいけない!って話の補足なんだけれど、この情報の取捨選択は一歩間違えると非常に視野の狭い状況に陥ってしまう訳ですよね。まぁ「島宇宙化」を助長するような感じで。だからこそ、その人に適した情報の取捨選択的インフラストラクチャーも大事なんだけれど、さまざまな情報をリンクさせるハブのようなもの(媒介中心性)が必要不可欠だと思う訳なんですよね。
このブログが「ごったに」なのも「媒介中心性」を持たせたいという考えがもとなんだけれど、もうちょっと情報をきちんと整理しないといけないですよね。
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